固定概念をぶっ壊して、自由に楽しく面白く生きる。『デザイン工房おかじ屋 久米真弓さん』
2024.03.04 ひと
「ワッハハハハハハハハ!」
大村の街に響き渡る、明るく元気な笑い声。これが聞こえてきたら、姿は見えなくてもあの人が近くにいるんだとわかる。そして、なんだかこちらも楽しい気分になってくる。
声の主は、大村市で「デザイン工房おかじ屋」を営む久米真弓さん。
グラフィックデザイナーにして子ども絵画教室講師。ローカルウェブメディア『ビーハッピーおおむら』の運営やイベント企画なども行い、大好きな大村を盛り上げている。自他ともに認める“鉄オタ(鉄道オタク)”で、2022年9月の西九州新幹線開業にあたっては新幹線かもめの追っかけ活動に燃え、SNS発信にも注力、自ら撮影した写真の展示会まで開き、活動の様子がメディアにも多数取り上げられ、大村ではすっかり“かもめ=久米”のイメージが定着した。
いつ見ても笑顔。いつ会っても元気。どこまでも明るくてポジティブ。そんなイメージの久米さんだが、どんな人生を歩んできて、どんな内なる思いを抱いているのだろうか。
(この記事は、2023/12/22に開催された公開取材をもとに編集しています。)
公開取材の様子はこちら。
個性で生きる。挫折も“ウケる”
久米さんが生まれたのは1978年、長崎県諫早市。生家のすぐそばを走る島原鉄道の風景と鉄道好きな家族の存在が、久米さんに鉄オタの素地をつくった。元気いっぱいに見える久米さんだが子どもの頃は病気がちだったという。
久米「5歳の時、原因不明の脱水症状で救急搬送されたんです。でも怖いとか苦しいとかはなくて『なんだこの状況、おもろいな~!』って楽しんじゃっているような、ヘンな子でした」
何事も感覚的に捉え、面白がる性格。気が付けばいつも何かを空想している。小学生の時には、既に絵を描くことが好きになっていた。中学卒業後は長崎日本大学高等学校 デザイン美術科へ進学。個性あふれる同級生や芸術家の教師たちに囲まれて刺激的な日々を過ごし、空想癖にも拍車がかかる。
久米「なにしろ周りの人たちの個性が強すぎるので、自分らしさをしっかり持っておかないと埋もれてしまうような環境でした。“人は人、自分は自分”という私の価値観は、この時期に形成されたと思います」
芸術系の短期大学を経て、無事に就職……のはずが、時はいわゆる氷河期。
久米「本当にたくさんの企業を受験したんですけど、ことごとくダメでした。親のコネで受けた会社まで落ちたんですよ。ウケますよね。ハハハハ!」
どうにかしがみついて建築関係の会社に入ったが、なんと1年半で倒産。せっかく自由の身になったのだから、どうせならいろんなことやってみよう、そんな気持ちで、会計ソフトのインストラクター、看板製作会社、設計事務所での仕事など、興味の赴くままに何でもやってみた。この時期のあらゆる経験は、後のデザイン事務所経営に役立っているという。
大村ってこんなに面白かったんだ!
2008年、久米さんは29歳で大村市に『デザイン工房おかじ屋』を設立。クリエイティブな仕事に精を出しつつ、ありあまる好奇心と行動力は街づくり活動へと向かっていく。大村や周辺で開催されている面白そうなイベントを見つけては足を運んだり、運営に関わったりするようになった。
久米「何の団体にも所属していない若者たちが誰から指示されたわけでもなく自分の意思で集まり、夜中まであーだこーだ言って、ケンカもしたりしながら、ひとつのイベントをつくりあげていくんです。そこに地域のいろんな人が加わったりして、年齢や立場の垣根なんてなくて、最後には皆がめちゃくちゃいい笑顔していて。それがね、なんかとても楽しかったんですよ」
そうしているうちに、大村の魅力にも改めて気づいていったという。
久米「市内を動き回っていると、大村の住みやすさや素敵なところをどんどん知ることができて。それになにより大村の人たちって、新しいことをやろうとしている人に対して『いいね、面白そうだね!』ってすごく肯定的なんですよね。もともと好きではありましたが、私が本当に“大村推し”になったのはこれが原点です」
目を輝かせて語る久米さん。苦労なんてなかった? と聞くと「いやいや、ちゃーんと落ち込んだこともありましたよ」と笑う。
久米「地元の飲食店の活性化になればと思って、お店を巻き込んだイベントを開催したことがあったんです。終わった後、ある店主さんがポツリと『慈善事業を押し付けるのは、やめてよ』って。ショックでしたけど、おっしゃる通りなんですよね。言ってくれてありがたかったです。これからは何かをやるにしてもちゃんと利益を出して、めぐりめぐって大村の人たちのためになるような循環をつくらないとなって思いました」
一つひとつの取り組み、出来事、人との関わりから学びつつ、大村への思いを強めていく。
五感で動くな、第六感で動け
そんな久米さんに人生の転機が訪れたのは、35歳の時。大村で長年幼児絵画講師を務める秋山和子(あきやま・わこ)氏から、あなたもやってみないかと声をかけられたのだ。
久米「先生のご家族も皆さんアーティストで、とにかく自由に生きてて。常識に縛られていなくて、感性が解放されていて、仕事も遊びも本当に思いっきり楽しんでいらっしゃるんですよ。そんな様子を見てて……私もずっと個性的に生きてきたつもりだったけど、好きだったデザインを仕事にして、いつのまにか自分を型にはめたり他人に合わせたりして息苦しさを感じていたのかもしれないな、と気付いたんです。でも和子先生たちと出会って、そっか、やっぱりこういう生き方が最高だな! って」
かくして子ども絵画講師・久米真弓が誕生した。
久米「子どもたちって純粋な気持ちだけで動いているから、なんだその発想は⁉ って驚くことばかりで。そんな私を見て、和子先生が言ってくれたんです。『真弓先生、五感で動いちゃダメだよ、第六感で動きなさい』って」
理屈よりも自分のインスピレーションを信じ、それに従って行動する。この考え方に感銘を受け、子どもに絵を教えることを楽しみながら徹底的に学び、自身も自由な生き方をとことん追求するようになった。
久米「絵には、間違いという概念がないんですよね。すべてが正解なんです。そんな世界を知って、私自身もすごく生きやすくなりました。いろんなモノやコトを縦、横、斜め、裏……あらゆる角度から観察すると、どんどん新しい発見が生まれて、自分の中の固定概念って壊せるんです。でも私だってまだまだとらわれていると思いますよ。だからずっと、子どもたちから学び続けています」
絵画講師という職業は、相手に絵を教えているようで、講師自身が新たな世界を切り拓いていく道でもあるのだろう。こうして久米真弓はますますパワーアップしていく。
人を動かすには、人の心を動かすこと
久米「子どもたちにつまらない姿を見せたくないから、常に面白い大人でいたいなと思ってて」
そう言って日頃から刺激的な体験や楽しむことを大切にしてきた久米さんにとって、最高の題材が大村にやってきた。西九州新幹線である。
久米「もともとどちらかというと島原鉄道みたいなローカル鉄道のほうが好きだったんですが、自分の街に新幹線が来るというので俄然興味がわいて、海上輸送されてくる新幹線かもめの姿を見た時にもう感動して!」
撮影:久米 真弓
そこから一気に“かもめ”にハマっていった。開業前から深夜の陸上輸送はすべて見に行き、開業してからは走るかもめが見られるさまざまな場所に出かけては、カメラのシャッターを切る。
ただ、久米さんがめざしたのは、単に“かもめの写真を撮る”ことではない。“かもめのある大村の風景写真を通じて、大村の魅力を伝える”ことだ。大村の海と山、空港から飛び立つ飛行機、大村湾に沈む夕日と田園風景……そして新幹線かもめ。大量に撮影した中から厳選し、写真展を開催した。
撮影:久米 真弓
久米「やるからには、この写真展を大村にたくさんの人が来るきっかけにしたいと思いました。人を動かすには、人の心を動かす必要があります。だからぜったい見に行きたくなるような発信をたくさんしたし、展示にはこだわって、びっくりするほど大きく印刷した写真を飾って皆さんをお迎えしたんです」
写真展は大盛況。ギャラリーの歴史に残るほどの来場者数を記録した。しかし、嬉しかったのはそれだけではない。
久米「おそらく市外から来てくれた若い男性なんですけど、写真をじっくり見ながら何周もしてくれて、ちょっと涙を流してたんですよね。そんなに感動してくれて……大村の魅力が伝わったんだと、本当にやってよかったと思いました」
新幹線かもめはコンテンツだ
改めて、“推し”である新幹線かもめへの思いを聞いてみた。
久米「私は、新幹線かもめを単なる乗り物ではなくて“コンテンツ”だと捉えているんです。乗る用事がなくても見に行くだけでもいいし、新幹線で大村に来る人たちを対象にして新たな商売を始めたり、大村をアピールする題材にしたりすることだっていくらでもできる。そうやって“観光資源”として利用してしまったほうが、ずっとずっと地域が盛り上がると思うんです」
そんな思いと行動は、新幹線かもめを取り巻くさまざまな人へと波及。新幹線がよく見えるスポットに、暑い中撮影に来る撮り鉄たちの体調を思いやって自動販売機を設置した人。開業一周年を祝して看板を作り設置した人。いずれも事業として行われたものではなく、誰から頼まれたわけでもなく、純粋な個人の思いが昇華した結果だ。
一人ひとりの“好き”という素直な気持ちが、時として地域の武器になる。地域の魅力に気付き、それと自分の“推し”が結びついた時、情熱を帯びて地域の内外へと伝播していく。久米さんのかもめ愛と大村愛を広げる旅路は、これからもまだまだ続いていく。
誰もが街の魅力を自分の言葉で語れる未来に
久米さんの目には今、どんな未来が映っているのだろうか。
久米「世の中ってすごいスピードで、私たちの想像を超える変化をしていくから、敢えてあまり先のことを考えたりはしていないんです。でもある方が『今からの3年を自ら変えようとしなければ、その次も同じ3年がやってくる』と言っていて、なるほど! と。今からの3年で私がやりたいのは“心の解放”です」
“心の解放”とは?
久米「固定概念にとらわれず、何かに縛られたりせずに、もっと気楽に生きていいんだよ、っていうことですかね。自分で自分を認めてあげられるようになることだったり。そうすれば人は生きやすくなるし、そういう人が一人でも増えると地域が良くなり、ひいては国も良くなっていくはずです」
一人ひとりがその人らしく、幸せであるということ。そんな個人の在り方が、結果的に誰もが幸せに暮らせる街を、国をつくっていくということなのか。
久米「私、街づくりで大事なのは『自分の言葉で自分の街の魅力を語れる人が増えること』だと思うんです。もちろんどんな街でもいいところばかりじゃないんですけど、それさえネタとして面白がるくらいの気持ちで語り合う。そんなことが、これからの時代は必要になってきます。やっぱり、大事なのは“楽しむこと”。私も時代の変化を面白がりながら、ビビらず飛び込んでいける自分でありたいです。まだまだいろんなことを学んで、伝えて、行動していきますよ! ハハハハ!」
今日も久米さんの笑い声は大村の街に響き渡り、希望の光でみんなの心を照らし続ける。