大好きなまちだから、恩返しをしたい。『Kujaku Peace代表 前平泉さん』
2024.01.04 ひと大村湾に南面する長崎県東彼杵郡川棚町。前平泉さんは、自然豊かなこのまちに惚れ込み、神奈川県から夫婦で移住した。
前平「実は、川棚町っていう存在を全く知りませんでした。(佐世保に)帰省して、ここの大崎海水浴場に来てびっくりした。なんて素敵なまちなんだろうって」
“このまちが好き!”という純粋な想いは前平さんをどんどん駆り立てた。
移住し一軒家を建て、川棚町初の女性総代となり、まちづくり団体「Kujaku Peace(くじゃくピース)」まで立ち上げたのだから驚きである。まるでくじゃくが羽を広げているかのような、熱い川棚愛だ。
現在は地域の人々と共に海岸清掃やワークショップなどの自然活動を通じて、大崎半島の自然を大切にしたまちづくりを行っている彼女。
そのすさまじい行動力のルーツから、Kujaku Peace結成までの道のりを辿っていきたい。
(この記事は、2023/9/8に開催された公開取材をもとに編集しています。)
公開取材の様子はこちら。
前平さんは、佐世保市天神町生まれ。もっぱら読書が好きで、人見知りの多い子どもだった。
前平「お客さんが来たらですね、部屋に隠れて出ませんでした。で、お客が帰ってからこそっと出て」
中学、高校に進み、バレーボールとソフトボールに打ち込むも、男子とはほぼ会話することもままならなかった。地味、内向的、友達少ないの三拍子が揃っていたと前平さんは振り返る。
現在の姿からはとても想像がつかない、意外な過去だった。
得意だった英語を活かし、英文科のある短大へ入学。仲良くなった友達から誘われて始めたバンド活動は、なんと20年ものあいだ、前平さんを支え続けていくことになる。
もともとピアノの演奏が好きだった彼女は、友人たちと一緒にステージで演奏する楽しさにどんどんのめりこんでいった。
思えば、小さい頃から絵を描くことも好きだったという。表現を誰かに見てもらい、評価してもらうことがとても刺激になり心地が良かったそうだ。
想いを伝えることの楽しさが、バンド活動を通じてようやく実感できた瞬間だった。
短大を卒業後、たまたま縁のあった東京都の建築設計事務所に就職した前平さん。多くの女性職員がお茶くみや事務職に勤しむなか、とある上司との出会いがきっかけで、当時は“男性の仕事”だった設計の仕事に携わることに。
図面の基本やCAD(設計をデジタルで行うソフトウェア)、実際に足を運んでのまちづくりデザインなどを学んだ。
初めての一人暮らしと慣れない都会暮らしで疲弊することは多々あったが、実績を重ねていくうちに徐々に仕事への楽しさが芽生えていき、生活への余裕も増えてきた。
気がつくと、持って生まれていたはずの人見知りは消えていた。
前平「初対面で、自分や会社が持っている技術を100%アピールしないといけないので、人見知りをしている暇がないんですよ。考えていることをじーっと一人で考えるより人に表現して、そこで100点じゃなくても何らかの反応があって。そしたら、ああここが足りなかったんだっていう風に、人とのコミュニケーションで自分が成長しているような手応えを感じるんですよね。おかげで生きやすくなったかと」
“自分のアイディアを形にする”ことに面白さを見出すことができた前平さんの経験は、現在のまちづくりにも大いに活かされているのだ。
その後はヘッドハンティングを受け、真空装置メーカーへと転職。国内外の電機メーカーのニーズに応えられるよう、技術やアイデアを出していきながらコンペで勝ち抜いていかねばならない厳しい世界だった。
前平「(アイデアを)絞りだす。諦めない。無理だと思ったら無理なんですよ。だから、絶対に答えがあると。諦めないんです。根性論になるんですけど、それしかないですね。答えが出たら、カッコいいなと思いません? 世の中みんなができないことを、こうすれば出来るんじゃないかって言えるのってすごい。そういう自分になりたいなと。当時は会社のためにやってましたけどね」
当時その会社では、男性社会ならではの風潮もあった。女性は家事を優先するよう15時間以上の残業が許されていないが、開発には結果が求められるためサービス残業を利用するしか方法がなかったのだ。
女性ならちょっと心が折れてしまうような環境……だが、前平さんは卑屈になることもなく、ひらすら誇りを捨てずに仕事に打ち込んだ。絶対に答えはあると、誇りを持って。
多忙な仕事の合間にバンド活動も続けながら、約5年近くが経とうとしていた時、前平さんは同じ職場でバンドのメンバーでもある旦那さんと結婚した。
年に数回、地元の佐世保へ旦那さんと帰省し、釣りやドライブを楽しんでいたが、ふと「佐世保の隣町だし、大崎海水浴場に行ってみようか」となったのだ。
そこで見た景色が、冒頭にある通り、前平さんの胸を強烈に射止めたのだった。
前平「(神奈川県の)茅ケ崎に帰っても、主人と『ここって大崎っぽいよね』とか言って妄想したりとか(笑)。ここで暮らすということが、ずっと頭から離れなくなりました」
なんとその想いは、リーマンショックを機に会社を希望退職するまで10年間も胸中でぐるぐると渦巻いていた。
そしてその間、気になっていた土地をすでに購入していたというから、その愛情の深さ(重さ?)に驚いてしまう。
もちろん、すぐに踏ん切りをつけたわけではなかった。移住後の旦那さんの仕事に対する不安など、考えなければならないことは山ほどあった。
前平「どうすれば川棚町に住めるんだろうって常に考えてました」
人生を賭けた持続可能な移住計画は、旦那さんの仕事を続けてもらうことで無事に前進。理想の暮らし方へと少しずつ歩んでいった。
前平「私は思いっきり(仕事を)辞めて全然違うところで働いた。主人は、自分のキャリアを続けるために仕事を辞めず、こっちでオンラインで仕事をしている。二通りのパターンがあるので、今後は後者のほうが絶対良いと思うんですよ。きちんと都会でキャリアを積めばこっちに来ても仕事はできる時代になっているので、そういうスタイルがいいんじゃないかなと思います」
仕事で貯めた貯金を元手に前平さん夫婦は、長年想いを募らせていた川棚町に夢の一軒家を建てることができた。
移住した当初は、やはり人脈の大切さを実感したという。東彼不動産の新井さんには、土地の購入からお世話になっており、とても心強かったと前平さんは感謝の色を滲ませる。
大崎の海を一望できるロケーションに建つ前平さんの家は、特に夕陽が素晴らしい。移住して一日目は夕陽のタイミングでお風呂に入り、感動の絶景に目を細めたという。
前平さんが神奈川県から移住し、川棚町の大崎半島の住民となってから5年が経った。
豊かな自然と温かい人々に囲まれての暮らしを満喫しながらも、「もっと好きな川棚町のために何かできないか?」という想いがふつふつと湧き上がってきた。
そこで思い切って、普段から参加していた自治会でとある提案をすることに。
誰もが手を挙げない自治会長をちゃんと決定し、組織が回るアイデアを出したところそれが採用された。そしてそのことがきっかけで、前平さんが総代になることになった。
はじめは気が重かったが、大好きなまちがもっと良くなるように、出来ることから始めなければならない。
そこで、まずは自治会の回覧板を見やすくしたり、住民の意見に耳を傾けながら古い慣習をなくして効率化を図ったり、身の回りの小さなことから少しずつ改善を加えていった。
移住者で、しかも女性の総代で、住民との摩擦が起りはしないかと不安もあったが、前平さんのやりたいことに対して、まちの人々は温かく賛同し時には意見も伝えてくれた。
この5年間をこう振り返ってみてどんなことがやっぱり自分を駆り立てたんだろうなって思いますか?
前平「駆り立てたのはやはり好きなまちだからですよね。好きな街にやっと来てやっと自分が、このまちのためにできる総代っていう立場はある程度、役場の方とか相談したりとか住民の方と話ができるので。私は受け入れていただいた恩返しをしたいなとものすごく思いました。川棚町に対してね」
活動が広がっていくにつれ、川棚町役場をはじめどんどん人脈も増えていった。
そのなかで、特に前平さんが刺激を受けたのは、自分とは違う世代の若い女性たちだ。彼女たちの川棚町への想いや才能をなんらかの形にし、それをまちの活性に繋げたい。
そんな想いから誕生したのが、まちづくり団体「Kujaku Peace」だ。
活動を通して前平さんが抱いた、川棚町のまちづくりの10年後の未来図とは。続きの「Kujaku Peace」の記事でお伝えしていきますので、ぜひご覧ください。